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『ジェニン報告』 part1
大変お待たせいたしました。ここ数週間の取材でジェニンに関する私なりの答えがある程度見えてきました。それを4部に分けて報告させて頂きたいと思います。
2度目は4月22日。イスラエル軍がジェニンから完全撤退したものの、町の周りを同軍が包囲している状態での取材でした。この日は正式にジェニンがプレス関係者に公開されています。しかし全ての人がイスラエル軍の検問でチェックされ、緩衝地帯を通過する人、車両はアパッチヘリで空から監視されるものものしさでした。 3度目は、5月1日。人権団体や近隣の人々の助けにより、ブルドーザーで瓦礫を取り除き、行方不明者の捜索、使用可能な日用品を瓦礫の中から掘り出したり、引越しの作業が前回よりも活発に行われていました。被害の少なかった商店はシャッターを開けて細々と商いを始めてもいます。この時は、ある組織から依頼され、破壊された水道システムを撮影するのがメインの仕事でした。 さて、ジェニンについてですが、はっきりさせなければならない点が一つあります。まず『ジェニン』と『ジェニン難民キャンプ』は同じではないということです。皆さんの多くが報道で目にする瓦礫の山は、ジェニンの町でも非常に限られたジェニン難民キャンプです。ジェニンの町がかつてのサラエボのごとく広範囲にわたって破壊されたと誤解している方もいるかもしれませんが、範囲はジェニンの町の難民キャンプ内(約600m×600mとイスラエル軍発表)に限定されています。これはジェニンの町の10%に満たないとの意見もありますが、実際測量してみなければわかりません。私の見たところ、確かに破壊地域は非常に限定的だといえます。 ただ、難民キャンプ以外は全く被害がないかといえばそうでもなく、アパッチヘリ、あるいは戦車からの機関砲、ロケット砲などで、少ないですがいくつかの被害が出ています。無傷の家屋の間に突如として完全に破壊された家屋があったりするは不思議でした。(*1) (*1、疑問1)
4月22日に初めてジェニン難民キャンプに入った時のショックは忘れられません。たとえ限定的破壊であるにせよ、一人の人間から見ればかなり広範囲に見えます。間近で見るとキャンプの破壊状況は、私が今までに見たサラエボやコソボとは比べ物にならないぼど壮絶であることが分かりました。第二次世界大戦時のじゅうたん爆撃後の東京やベルリンはこんな感じだったのだろうと想像します。激しい空爆も無かったのにどうしてこんなに跡形も無く町の一部が消滅したのかが不思議でした。(*2) とにかく、かなりの建物が完全に潰れ、その上から土砂がかかって、傾斜の強いサラ地になっています。いわば埋め立て地のような状態です。地面からは鉄骨やパイプ、コンクリートの一部が飛び出していて、かろうじてかつてここには家屋があったことを物語っています。難を逃れたパレスチナ難民が自分の家の位置がわからず、多分この辺りだろうという目算と、家族や友人の腐敗臭を頼りに土砂を掘り起こしているのが実状です。もともとあったグランドレベル(地面の位置)は何メートルも下ということになります。 家族や友人の遺体がどの建物の中にあるのかは大体分かっていても、それがこのサラ地上のどの位置なのかが正確に分からないので、掘り起こしようがないと嘆いているパレスチナ人に何人か会いました。 現段階で、遺体収容数は52体、うち22体が一般市民であったと発表されています。パレスチナ側が発表した犠牲者は500人にのぼるという数字からは遥かにかけ離れています。今後捜索が進むにつれ遺体の収容数は増えるかもしれませんが、何百体も出てくるとは思えません。
今回の軍事作戦はイスラエル軍には珍しく、報道関係者を現地から排除する方針をとりました。CNNやBBCなどの大手メディアも例外ではありません。これがジェニン作戦における『虐殺』疑惑の始まりです。今までメディアの現地取材に対しては比較的寛容な態度を示していたイスラエルが、このジェニンでの『守りの壁作戦』(Operation Defence Shield)に関しては頑なに現地取材を拒否し続けたのです。ここでメディア側に大いなる疑念と不満が生まれます。 我々が得られる情報はパレスチナ人側の証言とイスラエル軍側の発表のみとなりました。ご存知のように被害者証言というのは往々にして極端化する傾向があります。そして軍の発表というのも大本営発表の例に見るように、これまた正確とはいえません。何にしろ当事者同士ですから、プロパガンダ、デマゴーグも多く、冷静な分析と発表がなかなかできないのは当然です。 本来報道はその間に入って五感を駆使して事実、真実をレポートすることなのですが、イスラエルがプレス関係者を排除した段階で、報道の流れが大きくパレスチナ側に傾いたことは言うまでもありません。一説によるとイスラエルはアメリカの湾岸戦争、アフガン戦争の報道管制を真似たのだとも言われています。 一部のメディアは、この時一方的な情報源(パレスチナ側の証言)をほとんど裏もとらずにひたすら垂れ流しました。もともと国際社会の公正さなど期待していないイスラエルは、「我関せず」の態度を取っていましたが、ジェニンでの作戦が『軍事作戦』ではなく『虐殺』と世界から報道され始めると事態は急変します。 イスラエル軍はその後プレス関係者に対し大キャンペーンを張ります(このキャンペーンは既に終了)。エルサレムの中心にプレスセンターを仮設し、係官が懇切丁寧に軍や作戦に関する説明を行い、現地へのバスツアーが軍のエスコート付きで無料で行われ、コンピューターも使い放題なら、コーヒー、紅茶も飲み放題、必要な書類はすぐにプリントアウトして関連資料と共にワンサと持たせてくれる。ちょっと前までのイスラエル軍の態度とは雲泥の差です。この態度の急変が、各国プレスにまたもや大いなる疑念を抱かせることとになります。 関連リンク
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