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『イスラエル・パレスチナ取材日誌 2001』 第4部
ここ今日の戦況報告を手短に送信したいと思います。 このところ通いつめているヘブロンで昨夜パレスチナ人による狙撃があり、生後10ヶ月のイスラエル人(ユダヤ人)の女児が死亡。弾はベビーカートを押していた父親の脚を貫通した後、赤ちゃんの頭をぶ抜いたそうです。運の悪いことにその父親の兄弟も2週間前に狙撃されているとのこと。 そんなことがあれば、必ず何かが起こるのがイスラエル。昨夜からアラブ人に対して外出禁止令が出ていて、イスラエル兵の警備も厳重。それに反発してインティファーダ(反イスラエル闘争)がいつ起こってもおかしくないと判断し、今朝から張り込んでいたら、やはり!お昼のお祈りを終えたパレスチナ人の少年たちが投石を開始。 ヘブロンでは私も大分馴染みになってきて、イスラエル兵からの融通が効くようになってきているので今回は終始イスラエル兵士側。途中、パレスチナ側のスナイパー(狙撃兵)がどこかのビルに潜んでいるとの情報が入り、イスラエル兵に警護され防弾の兵士小屋に退避。アイスキャンディーまで貰ってしまいました。 いかつい兵士どもといえども同じ人間。何回も会って話をしているうちにうち溶け合っても不思議じゃないですよね。実は彼らの多くが兵役後、アジア大陸を渡って日本まで旅行したいと夢見てるんです。 このところの激戦取材で憔悴しきった日本のビデオカメラマンは戦線離脱。今朝は私とチームを組むアメリカ人と二人でヘブロンに向かいました。彼はアラビア語、私はヘブライ語をある程度話すという点でお互い非常に重宝しています。 行きの乗合いタクシーでは、意外にも日本の女性フォトグラファーも一緒で驚きました。どういう訳だか私以外のその二人はパレスチナ少年側から撮影開始。 細い路地に入って投石するパレスチナ少年たちを撮ろうとしたのでしょうが、今回はイスラエル側もかなりタフに発砲していたので撮影どころじゃなかったようです。おまけにその路地にスタングラネード(強い光と炸裂音のみの手榴弾)投げ込まれ、アメリカ人なんか一時的に片耳が聞こえなくなっていました。 私はといえばイスラエル兵側からそれらをすべて撮影。カフェに行ってお茶まで飲むという余裕ぶりでした。彼ら二人(他にもカメラマンが二人いたらしい)は戦闘が終わるまでその路地から何時間も出てこられず大変な思いをしていたようです。 そんな思いをしたにもかかわらず、その日本の女性フォトグラファーはそのままその路地に残り、現在も撮影続行中。無事なら今夜8時にエルサレムの旧市街のバーで会う約束になっています。 今日の私は、親パレスチナのひとが聞いたら青筋立てて怒りそうな取材の仕方ですね。
今日の戦況報告はこんなところです。昨日も実はアルーブという町で戦闘があり、APC(アーマード・パーソネル・キャリアー)装甲兵員輸送車まで出動する物々しさだったのですが 、撮影中カメラが一台ぶっ壊れてしまってもう思い出したくもないのでそれについては書きません。 以上 関連リンク |
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