|
|
|
|
『イスラエル・パレスチナ取材日誌 2001』 第5部
昨夜はエルサレム旧市街に住むパレスチナ人のお宅に呼ばれ、久しぶりにおいしいアラブ料理を食べさせていただきました。 一間しかない自宅に子供が8人。これはもう毎日が別の意味で『戦争』ですね。ここでは子供もタフに育っています。 食事中、テレビでイスラエルのアパッチヘリがラマラの町を爆撃、パレスチナ人二名死亡、多数の怪我人が出たとの報道がありました。、戦闘がテレビでライブ放送されるところがイスラエル・パレスチナ的ですね。 早速翌朝5時起きで現地に直行。遺体が収容されている病院を見つけ出し、遺体安置所で遺体の撮影をしました。一体はアラファト議長の親衛隊ともSPとも呼べる「フォース17」のメンバーなのですが、はっきり言ってもう人間なのか丸太の焼け残りなのかも分からないくらい丸焦げになっていました。もう一体のほうは中年女性で、顔面に弾丸を受け、口から上が空気の抜けたボールのようにベッコリとへこんで、もう元がどんな顔だったのかも分からないくらいのひどい状態。
同行のアメリカ人写真家は、遺体の傷みの壮絶さに耐え切れず、すぐにそこから出て行ってしまいました。しかし、分かってもらえるでしょうか?私たち、プレス関係者は遺族の到着する前に病院の「好意」で遺体の撮影を許された訳です。 はっきり言って遺族にとっては、家族の遺体に対面する前にさらし者のごとく毛布をひっぱがされて、どこの馬の骨とも分からない連中に写真撮影されるなんていうのは、いたたまれないはずです。 それを「パレスチナの現実を知ってほしい」という一心で協力してくれているわけですから、「気持ち悪い」とかいう理由で撮影を中止するのは許されざる行為でしょう。自分なりにほとんど無いに等しい勇気と倫理観で、」何とかそこの撮影を終わらせました。
その後やって来た遺族や友人の泣き顔を撮り、埋葬まで同行しました。派手な戦闘シーンもインティファーダもない安全な撮影ではありましたが、今回の中で一番つらい撮影になりました。 特に犠牲者の一人、「フォース17」のメンバーだった26歳の男性は、ガザの難民キャンプ出身。前回のメールで書いたように、難民キャンプの子供たちには将来、社会で成功して人から尊敬されるようなチャンスはほとんど無いわけです。 にもかかわらず彼はパレスチナのリーダーであるアラファト議長の信頼を得て親衛隊「フォース17」の士官クラスにまでなった、いわばキャンプのヒーローです。そのヒーローがイスラエルの砲弾によって家族にも判別がつかないほどの丸焦げの黒いかたまりになるという最期を遂げたわけです。 数日前、イスラエル側ではパレスチナ人が体に爆弾を巻き付けてバスを爆破。勿論自分もこっぱみじんです。その自爆テロでイスラエル人少年が死亡。昨夜のイスラエル軍の爆撃はその報復だと見られています。
明日はイスラム教徒にとっての聖なる金曜日です。その上パレスチナ人たちにとっては「土地の日」とされています。 パレスチナ人たちは「大規模なインティファーダの準備は出来ている」というし、イスラエル人は「応戦準備整っている」とのことです。 この国の中で明日何が起こるかは想像もつきません。ひとつだけ確かなのは、突如としてこの民族紛争が解決するようなことはありえないということだけでしょうね。 明日はもうここを発たねばねりません。今年のイスラエル・パレスチナの紛争取材は今日までとなります。ただ、私やこの取材日誌を読んでいる皆さんにとって終わりでも、この地に住む人にとっては、何も始まらず、何も終わらないような日々が続くことでしょう。 以上
関連リンク |
|||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||