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「Dome of Rock」(岩のドーム)
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2002年12月14日 エルサレム
2002年12月3日、初の『TTLプロジェクト』イスラエル現地レポートの取材として13時00分成田発のロシア航空アエロフロートで日本を出発。行き先はここ十年通い続けているイスラエル。今回ははじめての試みとして、後藤博 君が
ビデオカメラマンとしてサポートしてくれることになりました。これまでのフォトレポートに加えて、映像による現地ルポがどのようなものになるのか、期待と不安が入り混じります。
トランジットでモスクワ一泊後、ヨーロッパとアジアが出会う街、イスタンブール経由で6日にイスラエル到着。さっそく取材を始めて早一週間が経ちました。今年6月までは友人、知人だけにEメールで細々と送信していた『イスラエル現地レポート』ですが、今回からはWebサイトに公開。しかも毎回現地からの写真付きレポートで更新されるということになり、取材にも思わず力が入ります。
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さて、11月にはケニアのモンバサでアルカイダがイスラエル人の経営するホテルを爆破したり、ほほ同時にイスラエル国籍機を携帯型地対空ミサイルと撃墜しようとしたりするなど、一時沈静化していた国際テロ事件が相次いで発生しました。アメリカのイラク攻撃準備も着々と進んでいるようです。こうなると「中東地域の緊張は日増しに高まっている」と書きたいところですが、意外にもここ『中東の火薬庫』イスラエル・パレスチナでは、表面上いつもと違う『緊張』を感じることはあまりありません。ある意味戦争慣れしたこの国ならではなのかもしれません。
一時は外出を控えていたイスラエル市民も「いつまでも自宅にこもっているわけにはいかない」とばかりに、屋外市場やショッピングモール、酒場などに繰り出しています。エルサレム新市街のショッピング・ストリート、ベン・イェフダ通りのある土産屋さんでは「(この時期エルサレムに来る)勇気ある観光客には特別割引!」という張り紙で、外国人観光客を捕まえようと躍起の様子。アートスクール系の学生がたむろするパブ『スターダスト』では、ヘブライ語ラップDJのライブを聴きに来た若者で溢れかえり、小さな店に入り切れないお客が店前の通りでイスラエル産ビール『ゴールド・スター』片手に宴を始めるほどです。
今年4月から6月にかけてイスラエル国内で自爆テロが続発し、それに対抗したイスラエル軍の『守りの壁』作戦が遂行されました。イスラエル国内の緊張はいっきょに高まり、ジェニンでの虐殺疑惑、パレスチナ人武装グループのベツレヘムでの生誕教会篭城事件でピークを迎えました。しかし、世界のメディアの注目を集めた一連の事件が一段落すると、イスラエル国内では単発的な自爆テロと、その報復としてイスラエル軍のパレスチナ自治区への侵攻といった、ほとんどイタチゴッコに近い状況が続いています。これはこの国では「日常風景」となっている部分があります。現地の人たちからも「日本からわざわざ来たのにニュースが無くて残念だな、はっはっはっ(笑)」などとからかわれるくらいです。
先日、「イスラエルはプレス関係者にとって世界で2番目に危ない国(堂々の1番目はアフガニスタン)に選ばれたんだ」とアメリカ人ジャーナリストから聞かされました。日本では自爆テロがあるたびに新聞、テレビとも犠牲者の数など大々的に伝えています。それだけ見ると、「イスラエルでは街も歩けないような状態になっている」と思われそうですが、実態は、いくつか例外はあるものの、それほど恐ろしい状態じゃないんです。
とは言うものの、よーく注意してみると細かなところで新たな『緊張』が見え隠れします。まず私の場合はイスタンブールのアタチュルク空港で搭乗前にかつて経験したことない入念な『取り調べ』を受けました。まずは空港入り口でX線と金属探知機チェック、次にチェックインカウンター前で女性係官から渡航目的、期間、経由地、職歴、などの質問を20分ほど受けます。これで終わりかと思えば責任者らしき男性係官が出てきて同じ質問を繰り返し、今度は別の女性係官がチェック済みの荷物に切手サイズの確認済みシールを何箇所も貼ります。この段階でまだパスポートの出国手続き前。それから出国するためにパスポートコントロールに近づくのにもう一度、空港警備の軽いチェックを受け、出国スタンプを押された後にまた金属探知機とX線でボディチェック。搭乗寸前にまたも係官に止められ手荷物と私の身分に関する尋問を受け、またまたまたX線と金属探知機のチェック。これは前回なかった新たなる『関所』でした。こんなに放射線を浴びたら私の荷物はゴジラになっちゃうんじゃないかと心配になります。
その後のイスラエル入国に至っては、何度も、何度も空港内で足止めされ執拗な尋問を疲れ果てるほど受けることとなります。いつ?、どこで?、なぜ?、どのように?といったプライバシーもへったくれもない尋問を、トランシーバーを持った私服、制服のあらゆるタイプ係官から受けるのです。
この国のセキュリティチェックの厳しさは以前から有名なのですが、それは通常出国の際の話で、過去10年間のイスラエル取材を通して入国の際にここまでセキュリティチェックが厳しかったのは初めてです。イスラム過激派、その協力者の入国を警戒してのことだと思われます。
それにもう一つはプレスカードの発行。いつもは3ヶ月有効、延長可のプレスカードを発行してくれるのですが、今回に至ってはたったの2週間有効のカードしかでませんでした。その上延長は不可。イスラエルの政策に批判的な各国のプレス関係(どういう訳だか特にフォトグラファー、TVカメラマン)に対するプレッシャーともとれます。プレスオフィスの担当官が「この国ではほとんどの場合プレスカードなんか無くても取材できるの安心してください」などとシャーシャーと抜かした時には、「馬鹿こけ!カード無しじゃパレスチナ自治区の検問で追い返すじゃんか!」と思わず喉元まで出かかりましたが、そこはグッと堪えて、ほとんど許可の下りる可能性のない就労ビザ申請の書類を持ち帰ってきました。
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待機した兵士を撮影する後藤カメラマン
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今回の取材、紛争地取材は初めてという後藤君がビデオカメラを背負って私に同行しています。彼のイスラエル滞在期間が一週間と短いこともあり、最初の一週間は彼のビデオ取材を中心に動きました。ビデオ撮影というのは写真と違い、決定的な瞬間のみを捉えるのではなく、『つなぎ』の映像とかいう、なんでもない絵を取り続けるわけです。これが想像以上に手間のかかる作業でした。
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この地に慣れた私に大変なら、東京生まれの東京育ちの24歳、シティボーイの後藤君にとってはもっと大変。この初紛争地取材はえらく堪えたらしく、二日目から激しい下痢と発熱に見舞われながらの強行取材となりました。おまけに前半は殆どが大雨だったのが彼の病を悪化させ、紛争地で取材ネタを探すのと同時に、トイレも探す。彼の一生でこれほど大変な一週間なかったんじゃないでしょうか。
彼との取材の経過は後のレポートお伝えします。今日のところはここまで。
乞うご期待!
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エルサレム近郊の観光地でも事情は似たようなものです。クリスマスが近いこともあり、キリストの生誕地ベツレヘムの外出禁止令が解除されるとの噂もあります。ベツレヘムにはクリスマス前後に世界中からキリスト教の巡礼者が訪れます。日本とは違い、ここ聖地ではクリスマスにドンちゃん騒ぎをするのではなく、静かに祝い祈るのが本来の過ごし方のようです。特にキリスト教徒にとってベツレヘムで迎えるクリスマスには特別な感慨があるのでしょう。
しかし現在のように外出禁止令が解除されなければ、観光客は激減でしょうし、世界のキリスト教国から非難が集中することは火を見るより明らかです。地元の観光業者(金儲けにはユダヤ系、アラブ系も関係ありません)の不満も鬱積しています。私の推測ではこうしたもろもろの圧力で巡礼者のベツレヘム訪問は近々可能になるでしょう。その前後のイスラエル政府・パレスチナ自治政府の対応が、今後の情勢を占う手がかりになるかも知れません。ただ、イスラエル政府はパレスチナ解放機構(PLO)のヤセル・アラファト議長のベツレヘム訪問は許可しない模様です。このクリスマスの時期、世界中のキリスト教国家が“聖地”エルサレムや“キリスト生誕の地”ベツレヘムに注目する中、そこにアラファト議長が現れ、パレスチナの惨状を伝えるメッセージなどを世界に発信したら、その影響は計り知れないとイスラエル政府は考えているのかもしれません。
まだベツレヘムの外出禁止令が解除されないにも拘らず、私の滞在するエルサレム旧市街の安宿『タバスコ・ホステル』にも、やや狂信的と思われるようなキリスト教系の観光客が増えてきました。昼間は旧市街の(何度行ったか分からない)教会を周り、夜は夜で、宿の廊下を陣取って『ジーザス』(キリストの英語名)が云々とか、『聖書』が云々とかいう談義に花が咲いています。この微妙な時期ここに『観光』と称してやってくるのは彼らくらいしかいないんじゃないでしょいうか。恐しきかな宗教の力...。
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キリストが十字架に架けられた
ゴルゴダの丘の聖墳墓教会
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