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2002年12月23日 エルサレム


さて、現在のイスラエル・パレスチナの状況、今年前半にお届けした『イスラエル現地レポート』時期の状況に比べると、比較的静けさを保っているようです。“キリスト生誕の地”ベツレヘム、その周辺地域の外出禁止令も解除されたので、海外から巡礼観光客としてやって来たキリスト教徒も「神のお導きにより、強行突破してでもベツレヘムに入る」などと十字軍みたいなことは言わなくなりました。明日はクリスマスイヴ。ベツレヘムに行って“聖なる夜”を体験してみようと思っています。

エルサレムも数日振りの晴天です。中東地域は砂漠だからいつも暑いだろうなどと考えるのは大間違い。この時期、ここには雨季が訪れ、もう少しすると雪も降るんです。毛布を二枚配給されただけで、暖房も入れてもらえず、お湯も一日数時間しか出ない安宿で震える身としてはこの晴天は非常に助かります。イスラエル人もパレスチナ人ももともとは『砂漠の民』なので、この雨降りとじめじめ湿気を「恵み」と考えているようです。ここでは誰一人として雨降りについて文句を言っていません。

ところで、昨今のプレス関係者はフォトグラファーにしても、ジャーナリストにしてもコンピューターを筆頭とする高価で湿気に弱いデジタル機器が必需品となります。今回の取材からそれらが私の取材装備として加わりました。盗難、破損事故などが発生すると面倒なので、十年間利用し続けている安宿の屋上にあるプレハブ『個室』に初めて宿泊しています。

しかしこの個室が今までに無い問題を引き起こしています。まずは雨漏り。デジタル機器だけでなく、シンプルな電気機器でも湿気や水分が大敵だということは皆さんもご存知の通り。屋上にあるこのプレハブは雨が15分以上降ると天井や壁のいたる所から雨漏りをし始めます。「雨季の期間は短いし、建築材に木材を使用していないので腐ることはない、大丈夫だ」とオーナーは言いますが、デジタル機器と共に宿泊している私にとってはたまったもんじゃありません。この国の電圧は220V。日本の100Vと違い、感電は命取りです。毎日寝る前、外出時には機材をビニール袋に入れ、浸入する雨から守らなければなりません。水は時として部屋の床を風呂場のように濡らしてしてしまうので、機材は必ず床よりも高い位置(この場合はベッド)に置きます。皆さんの中には、私が毎晩中東の美しき女性たちと夜を共にしているんだろうと考える人もいますが、実際は無機質な電気機器とベッドを共にしているんです。まあ、『感電が命取り』という意味では中東の美しき女性も同じかもしれませんが...。

このプレハブの屋根はトタンのような材質でできているらしく、雨が降り出すと部屋の中で会話ができないほどの騒音を引き起こします。最悪なのは野良猫がその屋根に着地すると空爆と錯覚(ちょっと大袈裟か...)するほどの着地音が発生して、おちおち寝てもいられません。もともと猫嫌いの私はこの取材でますますそれに拍車がかかりそうです。

とは言うものの、今まで10年間利用してきた、石造りで換気の悪い6人〜20人の相部屋(オスマントルコ時代には刑務所だったらしい)と比べると、あのくさい足の臭いがないだけでも快適であることは紛れも無い事実です。きっと雨季が終わればここも天国なんでしょう。


私の住環境に関する愚痴はこれくらいにしておいて、本分のイスラエル・パレスチナ取材について少し触れておきましょう。


このところ『中東の“湿気った”火薬庫』と化しているイスラエル・パレスチナですが、相変わらず熱く燃えている場所がいくつかあります。その筆頭がヘブロン。

ここへブロンではイスラエル建国以前の1920年代後半まで、ユダヤ人(ユダヤ教徒)とパレスチナ系アラブ人(イスラム教徒、キリスト教徒)(注.以後『パレスチナ人』)は共存状態にありました。しかし1929年と1936年のパレスチナ人によるユダヤ人排斥暴動で、この地のユダヤ人はヘブロンを追われます。彼らが再度この地に戻るのは1967年の第三次中東戦争後、ヨルダン王国から『ヨルダン川西岸地区(ウェストバンク)』としてヘブロンを奪取してからとなります。

現在、へブロン、その周辺に住むユダヤ人たちは『ユダヤ人入植者』と呼ばれ、非常に過激な右派として知られています。ここに住む殆ど全てのユダヤ人男性はキッパ(ユダヤ帽)を被り、自分たちとその土地のユダヤ性を強く主張しています。彼らは常時マシンガンや拳銃で武装しており、パレスチナ人に対するその過剰防衛的な行動が国際的な非難の的となっています。

 ここでの問題で注目すべき点は、ヘブロンにはユダヤ人とアラブ人(パレスチナ人も含まれる)共通の父祖であるアブラハムの墓があるということです。このアブラハムはユダヤ人の祖イサクとアラブ人の祖イシマエルの父親とされており、聖地エルサレム同様、ここヘブロンもユダヤ人、アラブ人(キリスト教徒、イスラム教徒)双方の聖地となっています。この宗教的な理由が『ヘブロン問題』をより複雑化させていると言えます。

現在、へブロンには約450人のユダヤ人入植者が13万人のパレスチナ人に囲まれるように暮らしており、入植者個々人の武装のみならず、頑強なイスラエル軍の保護下にあります。それでもヘブロンのユダヤ人とパレスチナ人は事あるごとに衝突を繰り返し、双方で多くの犠牲者を出し続けています。1994年、ユダヤ人入植者バルーク・ゴールドシュタインがヘブロンのモスク(イスラム寺院)を襲撃し、30人近いパレスチナ人を射殺したし事件はパレスチナ人のみならずユダヤ人にも大きなショックを与えました。

つい先日もイスラエル(ユダヤ)兵がパレスチナ人のアンブッシュ(待ち伏せ攻撃)を受け、13人の兵士が死亡しています。我々の滞在中にも女性兵士を含む2人のイスラエル兵が殺害され、へブロンの町はかなり殺気立っていました。特に戦闘における女性兵士の死亡は、この二年間の衝突を通して初めてという事もありイスラエル国内では話題を集めています。

 皮肉なことに、ここを守り、犠牲になる若いイスラエル兵たち(18〜21歳)の殆どはユダヤ人入植地出身ではなく、入植地政策に異を唱えることの多い都市やその郊外の出身者です。彼らはユダヤ人入植者と比べると、パレスチナ人に対する怒りや蔑みも少ないように感じます。

「兵役があと2ヶ月で終わるんだ。そしたら日本に行きたいなあ。航空チケットっていくらくらいするの?」などと質問をされると、こいつらも日本の若者と変わらないんだなあ...と思ったりもします。とはいえ、パレスチナ人とは兵士と占領下の住民という関係ですから、友好的な雰囲気になるはずもなく、毎日多くのパレスチナ人がイスラエル兵の放つ銃弾の犠牲になっているのも事実です。

現在、町は外出禁止令下(パレスチナ人のみに適用)にあり、パレスチナ人はその日の食料調達もままならない状態となっています。堪りかねた一部の住民は生活物資調達のためにイスラエル兵の目を盗んで家から出始めていますが、イスラエル軍としても襲撃犯が拘束され、事態が収拾されるまでは掃討作戦を続ける姿勢を見せており、町を歩くパレスチナ人を連日拘束、連行しています。

そんな“ホットスポット”へブロンに今日までで計三回、紛争地取材初めてのビデオカメラマン後藤君と共に訪れました。

一度目は防弾処理の施されたユダヤ人民営バスで近隣のユダヤ人入植地キリヤト・アルバまで行き、そこから別のバスでヘブロンへ。三度目も同じバスでキリヤト・アルバまで行き、歩いてヘブロンまで向かいました。歩いたところでたかだか15分程度の道のり。しかしパレスチナ人の村を通過しなければならないため、ユダヤ人はこの道を絶対に歩いたりしません。彼らがこの道を抜けるときには必ず車を使います。こう書くと、我々はとんでもなく危険な所を歩いているように聞こえますが、実際はパレスチナ人の子供たち(イメージ的には『ガキ』のほうが合う)が笑顔で手を振り、羊やヤギが放牧される実に牧歌的な雰囲気の土地なんです。戦争を感じさせるのはそこを疾風のように駆け抜けるイスラエル軍や警察の車両くらいでしょうか。

ユダヤ人民営バスを利用する限りイスラエル軍の検問で止められることもなく、道路も舗装されていて非常に快適にヘブロンに到着することができます。これがパレスチナ人側のバスや乗り合いタクシーを利用すると、そうはいきません。実際、二度目のヘブロン取材の時はそのパレスチナ人乗り合いタクシーを使い大変な苦労をしています。

ユダヤ人の民営バスでヘブロンに向かう時は8シェケル10アグロット(約320円)、壊れかけのパレスチナ人相乗りタクシーだとヘブロン近隣までで15シェケル(約600円)取られます。通常パレスチナ人経営の場合、何でもユダヤ人経営よりも安いはずなので、「これはぼったくられている」と考えるのは大間違い。ヘブロンに向かうパレスチナ人の公共交通機関は、途中からユダヤ人と同じ道路を使用することができないため、未舗装道路へ迂回します。その道路も途中でイスラエル軍によって寸断されて盛り土がなされているために、寸断されている向こう側に徒歩で渡って、更に2シェケル(約50円)で別の乗り合いタクシーに乗り換えなければならないのです。その上、その途中にイスラエル軍による検問があり、車両、身分証明書のチェックなどで下手すると何時間も足止めをくらい、日によっては通過すらできずに追い返されることも少なくありません。これらの措置でパレスチナ人の日常生活が著しく阻害されており、彼らの我慢の限界を超えるものとなっています。

このイスラエル軍の『嫌がらせ』ともとれるこの措置に、世界中の人権活動家グループが抗議を行なっていますが、パレスチナ自治区から武器や爆弾、そしてテロリスト自身がイスラエルの主要都市に送り込まれ、自爆テロや襲撃でユダヤ人の命が奪われている以上、イスラエル軍としてもこの検問をなくすわけにはいかないのでしょう。軍の検問が厳しければ厳しいほどイスラエル国内のテロが減少するという効果を上げているようなので一概に非難もできません。

ヘブロンのみならず、イスラエル、パレスチナ全土では双方があらゆる手を尽くして国家や民族の存亡を懸け戦っています。パレスチナ人のテロやイスラエル軍の過剰に見える軍事作戦が「平和を得るためには逆効果だ」とは言い切れず、「効果がある」とも言えません。もしかしたらそれらは表裏一体な存在なのかもしれませんね。

今回は外出禁止令下のへブロンの状況を知っていただくため、写真とキャプションを中心に『フォト・メッセージ』としてお伝えしたいと思います。

聖地エルサレム

パレスチナ自治区への道路は盛り土で封鎖され、車の通行はできない

ヘブロンのユダヤ人地区とパレスチナ人地区のイスラエル軍の監視所に置かれたマネキン。

監視所に立つイスラエル兵たちの年齢はまだ20代前半かそれ以下。

外出禁止令下に町を歩くパレスチナ人を取り締まるイスラエル兵。

容疑者の連行。

容疑者取調べ。

タクシーの車内から外出禁止令下のヘブロンの町を見るパレスチナ少年。


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