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12月24日、ベツレヘムのクリスマスのミサを取材するために午後4時30分にパレスチナ人の乗り合いタクシーに乗り込む。アメリカ人ジャーナリストのケン(29歳)とイギリス人ビデオ・ジャーナリストのサニー(32歳)も一緒だ。その日の午後、臭い雑居部屋で昼寝をしていた彼らに「お前ら一応クリスチャンだろ。イスラエルにいるんだからクリスマスくらいベツレヘムに行っとけ!」と渋る彼らの尻を叩いて連れ出したのだ。 二人ともフリーランスで、韓国系アメリカ人のケンは『ニューズウィーク』誌や『ピープル』誌、『ニューヨーク・デイリーニュース』紙に寄稿している。ガザに4ヶ月間住んでいたが、エルサレムにガールフレンドができたという理由で3週間前からここエルサレムに戻って来ている。彼曰く、「女と話もできないガザは死ぬほど退屈」らしい。今回ベツレヘムに向かう途中、『ニューヨーク・デイリーニュース』紙のエディターから「ベツレヘムのクリスマスイブについてカバーして(書いて)欲しい」との電話連絡がケンに入った。これで250ドルくらいの稼ぎになる。実に運がいい。 でも問題はニューヨークとの時差だ。午後6時にベツレヘムに着いてから、住民に聞き込み取材し、午後10時過ぎからはクリスマスミサの様子を取材しなければならない。こちらの午前2時がデッドライン(締め切り)なのだが、ベツレヘムにインターネットセンターらしきものを発見できなかったため、ミサの途中でエルサレムに帰って記事を書き、そこから『ニューヨーク・デイリーニュース』紙に送信しなければならないことになった。これは忙しい。ここからの帰途にイスラエル軍の検問にひっかかったらもうアウト。記事は時間までに送れない。 オーストラリアで教育を受け、アメリカを本拠地とするイギリス人のサニーは先々週、あのイギリス国営テレビ局『BBC』のカメラマンとして仕事をしていた。本職は何と海洋生物学者。「シーライオン(アシカ)を追いかけていたら、いつの間にかイスラエルに来ちゃったよ」とのん気な事を言っているが、既にガザで二度も銃撃に巻き込まれている。 どんな大手の仕事をしても、フリーランスはフリーランス。彼らは一泊15シェケル(約375円)の雑居部屋で暮らしているのだ。トイレ無し、シャワー無し、窓無しの恐ろしく臭い16人部屋だ。彼らを見ていると勇気が湧く反面、絶望的な気持ちにもなる。「あんな世界的大手の仕事をしていても、そこまで生活を切り詰めなければならないのか。それじゃ俺なんかこれからどれくらいの苦労をすればいいんだ...」。 ベツレヘムに向かうパレスチナ人の乗り合いタクシーは、運転手を合わせて9人乗りのハイルーフ・バンで、シート、ドア、窓、あらゆるものが壊れている。しかし、パレスチナ自治区に入るイスラエルの民営路線バスはないので、安価な移動手段はこのボロ乗り合いタクシーのみだ。その上、この車両はイスラエル軍の検問所までしか行かない。そこから向こうはパレスチナ自治区のタクシーに乗り換えなければならない。イスラエル政府は「クリスマスの間、外出禁止令は解除する」とは宣言したけれど、検問をなくすとは言ってない。だから検問はいつも通りしっかり存在した。アメリカ製の4WD『STORM』というロゴの入った軍用車両と共に武装兵士が大した緊張感も無くこちらのパスポートをチェックする。 車が走り出して15分くらい経った頃に、サニーの携帯電話が鳴った。ラマッラにいる 女性ジャーナリストからだった。いつもの業務連絡と雰囲気が違う。電話を切った瞬間にサニーが発した言葉は― 「アラファトがボディーガードに射殺された!」。 私もケンも一瞬放心状態になり、その後殆どパニック状態に陥った。「オー・マイゴッド!クリスマスイブにそんなこと!?」、「ネタ元はどこだ!?」、「本当に死んだのか、怪我じゃないのか、未遂かも...」。ケンが不覚にもアラビア語で叫んだ 「アラファトが死んだ!」。 パレスチナ人で一杯の車内は一瞬沸き立った。しかし意外にもパレスチナ人たちはすぐに冷静さを取り戻したようだった。というより殆ど取り合わないといった態度とも言える。 あの“不死鳥”と呼ばれたパレスチナ解放機構(PLO)の最高幹部ヤセル・アラファトが暗殺された...?そんなことありえるだろうか。ここは中東だ。政治的、宗教的には何が起こっても不思議は無い。 三人とも車の中で呼吸が荒くなり、私自身は体に小刻みな震えを感じた。サニーはラマッラのパレスチナ自治政府のオフィス、その関係者に事実確認の電話を入れ、ケンもパレスチナ人の現地コーディネーターに電話を入れた。「あらゆる手段を使って早急に確認して欲しい」。そして私はタクシーの運転手にそのニュースがラジオで流れていないかどうかの確認をお願いした。もしこのニュースが本物なら、1995年のイスラエル首相イツハク・ラビン暗殺以来の大ニュースだ。 これと並行して我々の間で話し合ったのが、このままベツレヘムに向かうかどうかについてである。後10分くらいで我々の車はベツレヘムの検問所に到着する。とりあえずそこまで行くか、今すぐこの車を降りてラマッラ行きの車をつかまえるかの判断だ。そうこうしているうちにサニーに再度連絡が入った。プレス関係者が既にラマッラの現場に向かっているらしい。実際、ラマッラに向かう途中のジャーナリストからも連絡が入った。 「いよいよ本物だ」、内心そう思った。我々は歴史的瞬間に立ち会おうとしている。興奮した。紛争地をうろつくカメラマンやジャーナリストは、人が苦しんだり、死んだりするのを飯の種にしている輩(やから)だ。テロの犠牲者取材に疲れ果てたケンが以前言ったことを思い出した。 「俺たちは『戦場のハイエナ』なんてかっこいいもんじゃないよ。実際は『犬』だな、というよりそれ以下かな...」。 アラファトが死んだと聞いて私も興奮している。これからこの地に住むパレスチナ人にどんな混迷が待ち構えているのかわからないのに。やっぱり『犬』以下かもしれない。 とりあえず我々は最終確認ができるまで車内に留まることになった。しかしベツレヘムとラマッラは逆方向だ。一刻も早く現地へ向かいたかった。「もうベツレヘムのクリスマスなんかどうでもいい」。 しかし、その後続々と事実が明確にされ始めた。ラジオ、テレビではその件について何も放送されていなかったし、パレスチナの政府筋からも情報を否定する情報が入った。ついにはもともとの情報提供者からも内容を訂正する電話が入るに至った。最終的には、「ベツレヘム訪問を許可されなかったアラファト議長及びパレスチナ政府が、世界の注目を引くために仕掛けた情報作戦なんじゃなかったか」というような連絡で締めくくられた。 安心したと同時に我々のテンションは一気に下がった。ベツレヘムに着いた時には雨が降り始めており、イスラエル軍の侵攻に抗議して、クリスマスツリーもその飾りつけも無い“キリストの生誕地”は閑散としていた。“抜け殻”のようになった我々三人は、冷たい雨の中、何も無かったように取材をはじめた。“抜け殻”のようなベツレヘムで...。 しかし、あれはいったい何だったのか?それにタクシーに同乗していたパレスチナ人たちはどうしてあんなに冷静でいられたのだろう?その答えは、「ここは中東だ」の一言に集約されるのかもしれない。ヤセル・アラファト議長は今でもラマッラの議長府で健在だ。その後も彼の周辺で大きな事件が起きた形跡はない(注.数日後『エルサレムポスト』紙は議長府でこの日の夜、実際に発砲があったことを報じた)。ただあるのはパレスチナ人の乗り合いタクシーの中で、馬鹿みたいに騒いだ3人の外国人がいたという事実だけ。 この件について“ジャーナリスティック”によーく分析した結果、こういう結論がもたらされた。 「あれはジーザス(キリスト)からの我々に対する『戒め』のクリスマスプレゼントだったのではないだろうか...。」 人それぞれ色々な考え方があるだろうけれど、時期や場所などを鑑みると今ではそう考えるのが一番正しいような気がしている。 私からキリスト教徒の皆さんへ、「メリークリスマス」。 聖地エルサレムより |