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2002年12月29日 エルサレム


金曜日はイスラム教徒にとって『安息日』。まあ平たく言えば休日ですね。それから、夕方からはユダヤ人(ユダヤ教徒)の安息日『シャバット』が始まります。『シャバット』は金曜日の夕暮れから始まり、土曜日の夕方に終わるという実に中途半端な時間割。まあ、ユダヤ資本の会社なんかは金曜日を半日にして、土曜日を丸々休みにする所が多いみたいです。日本でもちょっと前までは日曜日がお休みで、土曜日が半ドンなんていって半日で仕事を切り上げていましたから似たようなものなのかな...なんて思ったらそれは大間違い。信心深いユダヤ教徒は『シャバット』が始まると色々とやっちゃいけない事が戒律的にあり、その内容は日本人がイメージする休日とは大きく異なります。

 『シャバット』は安息日なので当然全ての労働が禁止されます。その労働という範囲がとても広く捉えられていて、仕事の残業なんてもっての他、車を運転することも禁止なら、テレビやラジオのスイッチを入れるのも禁止、部屋の照明のスイッチを入れるのも禁止なんです。勿論火を付けることも禁止ですから、料理もできないし、タバコも吸えません。

さすがに部屋の明かりはないと生活が成り立ちませんので、多くの信心深いユダヤ人の家庭では、時間が来ると自動的にタイマーで照明のスイッチが入るようになっているようです。面白いのは、時々そのタイマーを入れ忘れ、困り果てたユダヤ人がその辺を歩く非ユダヤ系の人を見つけては部屋の明かりをつけてもらっていることです。が、ここエルサレムでの問題は、周辺にいる非ユダヤ系の殆どがパレスチナ人だということです。まさか敵対民族にそんなことを頼むわけにはいきません。困ったユダヤ人が、こういう時に一番頼りにするのが観光客。でも、「私の代わりにスイッチを入れてくれ」とお願いしてしまうと“スイッチを入れさせる”という『労働』なってしまうので、直接それを言葉にはしません。彼らは玄関で照明のスイッチと観光客の顔を交互に見つめるだけです。そのジェスチャーから観光客が「ああ、照明のスイッチ入れてほしいんだね」と“自然に”気付くことを期待しながら...。

 さて、その『シャバット』の晩餐は毎週豪華かつ賑やかに執り行われます。通常、正統派ユダヤ教徒はユダヤ人同士で『シャバット』を祝うので、私は宗教的な『シャバット』の晩餐には参加したことかありませんでしたが、今回そのチャンスを得て3時間にも及ぶ歌とお祈りの豪華晩餐に参加して参りました。ヘブライ語によるお祈りの後に、いつ果てるとも知れない料理や飲み物(ワインは少し出るが、殆どがノンアルコール)、その合間に歌や踊りが自然発生的に披露され、狂喜乱舞とでも言いましょうか、どんちゃん騒ぎとでも言いましょうか、これが年に一回のお祭りの時ならともかく、毎週とは恐るべきパワーです。この晩餐については、またチャンスがあったらお伝えしたいと考えていますが、今回のレポートはその晩餐の後、新市街で起きた事件についてレポートしたいと思います。

 三時間にも及ぶ歌と踊りとお祈りの『シャバット』ディナーの後、我々いつもの三人組み、アメリカ人のケン、イギリス人のサニー、日本人の私は若者たちで溢れる新市街に向かいました。勿論目的は『酒』。嬉しいことにユダヤ教はイスラム教と違ってお酒が禁止されていません。それに付け加えておきますが、前述した厳しい『シャバット』戒律を守っているのは、イスラエルの中でも非常に限られたパーセンテージの人々で、殆どのユダヤ人はそれほど厳しく戒律に縛られているわけではありません。

イスラエルのナイトライフは夜の1時〜3時くらいがピークで、9時や10時の飲みに出ても店にお客なんか殆どいません。地元の人は大体11時から12時くらいからバーに繰り出し始めます。この夜も我々の行きつけ『スターダスト』は若者で一杯でした。狭くて、暗くて、騒がしい店内で一本10シェケル(約250円)のイスラエル産ビール『ゴールドスター』を注文してテーブルにつくと、向かいに座るイスラエル人の女の子たちから声を掛けられました。これは幸先よろしい。

空軍の女性新兵と“のん気に”楽しむ私たち。

声を掛けてきた女の子たちはイスラエル空軍の新兵。この夜は非番なので友達と誘い合ってこの店に来たとのことでした。高校を卒業したての彼女たちは初々しく、『兵士』という雰囲気とはかけ離れています。イスラエルは国民皆兵制。男子3年間、女子2年間の兵役義務があります。これから彼女たちは2年間の軍務を全うしなければ大学にも行けません。

「一度、入隊したら自分は自分のものではなくなって、軍の資産になる。そうすると自殺未遂ですら『軍資産へ損害を与える行為』として罰せられるの」と彼女たちは軍の授業で習ったことを教えてくれました。「軍隊に入って一番変わったことは、この国に対する認識。子供の頃は、『君たちが思うほどイスラエルは危機的状況にはない』と教えられたけど、軍じゃ、『君たちが思うほどイスラエルは安全な状況にはない』ってことを徹底的に叩き込まれる。たから徴兵が必要だって事も」。

今でこそ私も、仕事柄、国防だ、軍事だなんてことを少しは考えたりもしますが、18歳の頃にはそんなこと全然考えていませんでした。それは今の日本の18歳も同じではないでしょうか?同じ若者でも国によって色々なんだなあ、とあらためて感じますね。

 女の子たちとの会話は時間を追うに従って盛り上がって、雰囲気もバッチリ。一瞬我々の間で、18歳の女の子たちとこのまま事を進めていいものか...というやや倫理性を問う話が持ち上がりましたが、そんな倫理観も「ここは中東!」の一言ですぐに消えて無くなりました。これで我々三人は『戦場のハイエナ』から『酒場のハイエナ』と化したことになります。

 時間は深夜1時を越え、小さな店内に入りきらないほどお客でごった返してきました。私たちも3本目のビールを終え、ご機嫌です。その時、一緒にいた女の子の携帯電話が鳴りました。彼女はヘブライ語で二、三言短い返答をすると、やや表情を曇らせこちらにこう叫びました。

「この近くでまた『Bomb』ボム(爆破テロ)よ!」

『Bomb』ボム(爆弾)。ここイスラエルにいると毎日どこかで聞く言葉の一つ。彼女の悲壮感は「また」という言葉で助長されます。我々三人の中に『アラファト暗殺』誤情報の時と同じ緊張が走りました。「エルサレムのどの辺りで?」、「爆発の規模は?」、「被害状況は?」、確認したい事は山ほどあります。この近くと言っても爆発音は聞こえなかったので、どの方向に、どれくらい近いかが分かりません。目の前にいる空軍の女の子たちを逃すのはこの上なく残念だったけれど、事がもし『自爆テロ』ならそうも言っていられません。『酒場のハイエナ』はまた『戦場のハイエナ』に戻り、取るものもとりあえず店を飛び出して、現場を探し始めました。

大通りにいた若者たちをつかまえ爆破テロについて尋ねると、「約20分前にロシアン・コンパウンドと呼ばれるバーやレストランがひしめく地域で乗用車が爆発した」という情報でした。現場は我々のいた『スターダスト』から歩いて5分も離れていないじゃないですか!急いで今秋、秋葉原で買った1890円のテフロン加工のバックパックから、私の新しい相棒Nikon D100を取り出して、スピードライト Nikon SB−80を取り付けると、いざ出陣!ロシアン・コンパウンドへ続く石畳の坂道を登り始めました。当然、ジャーナリストのケンとサニーも一緒です。

しかし、現場周辺は既にイスラエル軍によって封鎖されていて、プレスカードを見せても通過の許可が下りません。警備にあたる若い女性兵士によると、一度目の爆発で近づいて来た人々を二次爆破で殺傷する場合もあるので、周辺を調査中とのことでした。消防車も何台か入って消火活動をいるようで、爆破現場周辺は騒然とした雰囲気です。

爆破現場周辺は既に軍によって封鎖されていた。

ここで、あろうことかケンとサニーが「あー寒い!後は任せた、俺たちには『スターダスト』で別の任務(ナンパ)が待っている。何か大きな変化があったら連絡をくれ」と言い残すと、ポケットに手を突っ込んでソソクサと帰ってしまいました。

ここがジャーナリストとフォトグラファーの違い。ジャーナリストは情報さえ集まれば必ずしも現地にいなくても仕事になりますが、フォトグラファーやカメラマンの場合は現地にないと仕事にならない。私は寒空の下、ひたすら現場に近づく許可を待ち続けることとなります。

30分くらいすると、いかつい刈上げの警官がやって来て、「ヘイ、プレス!向こう側からなら入れるぞ」と現場に入る回り道を教えてくれました。爆破現場は『グリーンバー』という若者向けの酒場の裏手にある駐車場で、私が現場に駆けつけた時には既に20人ほどのプレス関係者がオレンジ色の『立ち入り禁止』テープ越しに撮影を始めていました。現場周辺のアスファルトは消火活動の影響で水と泡で風呂場のように濡れていて、我々から50メートル程前方には武装警官と共に半焼の白い乗用車が見えます。

この自爆テロで自爆犯を除けば死者、怪我人はなし。

事実は時間を追うに従って明らかになっていきました。爆破犯(パレスチナ人か、アラブ系イスラエル人かは不明)はガスを充満させた2つのバルーン(風船タイプの容器)を車内で着火し自爆したものの、本人の火傷を除けば死者も怪我人もなし。確かに乗用車の破損度から見て、大爆発だったとは思えません。隣接するバーの爆破を試みたのしょうがガス風船ではあまりに破壊力が弱すぎたようです。後にパレスチナ系の武装組織『イスラム聖戦』がアラブ系ニュースTV局『アル・ジャジーラ』に「イスラエル軍のパレスチナ自治区侵攻に対する報復」との犯行声明を出しています。

最終的には乗用車の10メートル手前までの立ち入りが許可され、何とか現場をわが愛機Nikon D100に収めることができました。つい数年前までは誰もデジタルカメラなんかで使っていなかったのに、今じゃここにいる全員がデジタルカメラです。それも殆どはCanon。報道写真の世界ではデジタルが普及する前からNikonはCanonに圧され気味でしたが、ついにそこまで...という感じです。Nikon派の私としては悲しい限り。

 現場撮影の帰り道に、アメリカ人の正統派ユダヤ教徒の二人組みに話し掛けられました。「2時間前にニューヨークからイスラエルに着いたばかりなのに、ヘブロンでは今晩イェシヴァ(ユダヤ宗教学校)のユダヤ人学生が4人も殺されたと聞いた。そしてここエルサレムに来たら車が爆発している。こんな所でどうしたら普通に生活なんかできるんだ!」。

 『スターダスト』に戻ると相変らず店は若者で溢れ返っていました。ケンとサニーは二人で寂しく飲んでいます。もう空軍の女の子たちは帰ってしまったんでしょう。ここから歩いてたった5分のところで“また”『爆破テロ』があったにもかかわらず、ここの客はいつものように話し、笑い、酒を酌み交わしています。それはあたかもこの地のユダヤ人がニューヨークから来た同胞たちに、「こんな所だからこそ普通に生活しなきゃいけないんだ」と答えているかのようにも私には見えました。

イスラエルではこんな状況が50年以上続いています、もう驚きもしないか...。

聖地エルサレム


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